そう、わたしは間もなく養女へと家から追い出される身であった。

スクイブ、それがわたしに押された烙印。わたしは魔法力の欠片もなにも示さなかった。 産まれた時から何の力も、なかった。ただ恵まれたのは、この容姿。 わたしの美しさが故に、養女として引き取ってくれる恰幅の良いマグルの男性と子を設けられなかった、派手に着飾った女性をわたしの家族は見つけた。

それはもう、多額な金額で。お金は有り余っているから、是が非でも子どもとして迎えたいとのこと。もちろんわたしの家が魔法使いの一族であることはそのマグル夫婦には隠していた。 ホグワーツにまだ行けない年齢で、養女に出すことができる。スクイブなど純血一家にとっては恥でしか無いのだ。 そのマグルの夫婦は平凡で、金持ちであることを隠さないような下品さを感じた。 けれどわたしの家にとっては願ってもないことだ。わたしはその人達を今度は父と母と呼ぶこととなる。そう。もう、間もなくだ。

我が家に屋敷しもべ妖精はなく、純血一家といってもマルフォイ家のような富もない。 要するに家柄だけある、没落貴族としては魔法界では認知されていたのだ。 だから母は一生懸命おべっかを使って、富も名声もある彼らに取り入ろうとわたしの姉や兄を養子にやった。 策略家の母の策は見事に成功していき、わたしの家は成金の純血一族と囁かれつつもある一定の地位を築いていっていたのだ。

しかしある日、いつものように純血一族の会合の準備に急いている母から呼び出された。新品のローブを渡された。 わたしはスクイブ、一度も外で着られるようなローブを与えられたことがない。 だが母が言った。

「今日あなたを見てくれる友人が急病で来られなくなったのよ。仕方がないから貴方も来てちょうだい。最初で最後のお披露目ってことであなたも嬉しいでしょう?」

貼り付けたような笑顔はわたしの心に何の響きも与えなかった。母はわたしが邪魔でしょうがないのだ。お披露目もなにもない。 念には念を入れる母は、一人の親友にしかわたしのことを打ち明けていなかった。ここの使用人でさえ知らないことだ。 だから、その人が来られないということはわたしは母の監視下に置かれなければならない。 だからパーティーについていくことでさえ、絶対に心の底では喜んでもいない。むしろわたしが家の繁栄を何か脅かす存在になるのではないか、という恐怖心さえ抱いているかのようにも見えた。

「…はい、お母様。大人しくしております」

わたしがそう返事すると、母は物分りのいい子、とわたしの髪を撫で、出かける合図を雇われの使用人に送った。

会場にたどり着くと母はわたしとすぐに離れ、わたしは物分りのいい子通りに隅に用意された椅子に大人しく座った。 そう、わたしはここで何も言葉を発してはならない。そう、わたしはここで存在を知られてはいけない。

わたしはそう念じながら瞼を閉じていた。この光景が最初で最後であろうと、わたしは忘れてしまいたい。

けれどその願いを神様は聞き届けなかったのか、わたしに誰かが声をかけた。

「……具合が悪いのか?」

震えた声だった。なぜ、震えているのかは分からない。わたしは自分に話しかけられていると理解するのに数秒かかった。恐る恐る、声がした方を振り返る。 グレイの瞳の、とても顔立ちの整った少年だった。身なりもとてもきちんとしていて、ああ、すぐにこの子はいいところのお坊ちゃんなんだなと理解する。

「……いいえ、すこし。緊張してしまって」

わたしはとにかくこの厄介者をこの場から追い出したかった。その時、少年から腕を掴まれる。温かい血が流れている手だ。 心臓がどくどくと脈打つのを感じる。駄目だ、取り乱しては。ここで騒ぎになれば事になる。お母様の計画が台無しになる。 わたしがここにいることは、本来あってはならないことなのだ。わたしはできるだけ穏便にことが済むように返事をした。

「…俺が一緒にいるよ」

わたしははっきりと彼の顔を見るように振り返る。前髪が彼の瞳に魅惑的にかかっていた。とても、魅力的な少年だった。 わたしは彼の瞳にとらわれて、一瞬息を呑んでしまった。

「わたしといると…よくないわよ」

ようやく振り絞って出せた言葉がそれだった。やっと少年がわたしの腕から手を離してくれた。その瞬間少しの寂しさを感じた。 けれどその寂しさもまた埋めるように彼は優しくわたしの手に彼のを重ねてくれた。わたしはその感触に肩をびくりと震わせる。 初めて、家族以外の人の手に触れた。わたしはその温もりが、とても心地よく感じ、心臓は脈打ちながらもその激しい波に体を委ねたくなった。

「俺は、…シリウス。君の名前は?」 「……わたしの名前なんてきっとすぐ忘れてしまうわ。きっと、誰も何も思い出さないんですもの」

そう、答えても無駄。わたしはわかっている。目先の欲望に溺れてはダメ。 わたしは、もうわたしの道が用意されている。貴方のような、正統な純血一族の魔法使いとは関わりのない世界へと歩きだすの。 彼はわたしの返答に、もうこれ以上何か質問をしても無駄だと悟ったのか、何も話しかけてこなかった。 ただその時の会合が終わるまで、彼の手の温もりはわたしの手に重ねられたままだった。



そしてわたしはマグルの夫婦の下へ養女に出された。わたしはだんだんと自分の家がどういったものだったか忘れた。 魔法界のことも、覚えてはいるけれど自分にはなかった力だ。すぐに諦めはついた。 マグルの学校に通い、素晴らしく豪奢な家に住み良い学校にも通わせてもらえた。 わたしの新しい父と母は、お金がたんまりと余っているようで、わたしは新しい世界でとてもいい暮らしをするようになった。 お抱えの運転主、住み込みのお手伝い。 わたしは魔法界にいたころをもっと忘れていくようになっていった。

けれど、彼のあの時の手の温もりは忘れられなかった。 そう、なぜか。あの日の、あの瞬間だけの、あの温もりと澄んだグレイの瞳。

わたしにある日縁談が持ち込まれた。相手もとても立派な家柄で、そして金持ちだ。 わたしには数々のボーイフレンドがいたけれど、父と母には逆らわなかった。そうしてあげることが、彼らにとって何よりの満足に繋がることだったからだ。 そしてまた富を得て、ますますお家が栄えると。わたしの養父母は大いに喜んだ。

わたしはお見合いの時も、相手の顔をちゃんと見ていなかった。ただ、ぼんやりと輪郭のないような人だなぁという印象しかなかった。 そしてお見合いの時に何カラットもあるか、というぐらいの大きく派手なダイアモンドの婚約指輪を渡された。 わたしは嬉しそうにそれを受け取り、そして彼はわたしほどの婚約者がいることがどれほど光栄で喜ばしいか、と嘘くさい言葉を並べわたしの父と母を喜ばせた。

その夜、わたしは友人と夜の街を渡り歩いた。もう結婚したらあまり夜遊びはできないからと。 湿ったレンガの道を歩いてる時、わたしはぽつりと思い出したことを思わずつぶやく。

「昔、わたしの手を離さないでそばにいてくれた人がいてねーその人のことだけなんだか忘れられないんだー」 「それ彼に言ったことあるの?」

友人が悪戯っ気に尋ねる。きっとこれはスキャンダルになるかもだ、と楽しんでいるかのような目で。 ふと、眼の前でタバコを吹かしていた青年に少し目がいった。けれどわたしと友人はヒールをカツカツと鳴らして振り返る間もなく歩いていたのでよく彼を見ることができなかった。 わたしは再び意識を前に進む道へ戻しながら答える。

「やだ、言わないわよ。ただの思い出ってだけで、何となく今日思い出したから話しただけ。でも、その男の子、星の何かの名前だったかなぁ…オリオン…?あんまり覚えてないんだけど。世界が違うからって

思っちゃって。ほとんど話さなかったんだー」 「忘れられないって言うからどれだけ大事な思い出かと思ったらそんなもんなのね〜」

そう、そんなもの。けれどわたしにとって、あの日がきっと最初で最後の運命の日だったんだ。 わたしは心の中でダイアモンドの婚約指輪を道に叩きつけてやりたい気持ちと、あの日の彼を愛しく思う気持ちに心は苛まれながらも、 友人に嘘っぱちの言葉で微笑んだ。